今年(2009年)80歳になった若林栄一さんは、母親の病気をきっかけに大工の仕事を辞めた平成4年から「城端水車の会」に関わり、水車づくりを始めました。以来、大工技術を生かしながら工夫を重ねて作った水車の数は約40台に及び、城端町は水車の里に。また、水車づくりの技は全国的に知れ渡り、県外からも引っ張りだこの日々です。
一番初めに水車を作ったときが一番難しかった。仕組みがまったく分からんだ。先生がおらんもんやから、どっかに先生でもおって、それを手直ししていくがなら分かるけど、初めから自分でいろんなが作っていった。手本が無くて昔を思い出して作ったけど、水車作ってみて昔の人は偉かったなぁと思う事があった。
材料の見分け方やちゃ。鉄なら水吸わんけど、木材は張するから同じ木でも柔らかいとことか硬いとことかあるがいちゃ。そうすると硬いところは水吸わんから、水吸う柔らかいところは重たくなる。そしたらバランスが悪くなり、一週間ほど水車を回しといてひっくり返してはずして直す。そのために釘を使わんがいちゃ。組み立て式やから全部。釘つかったら穴が開くわけで、木の楔で止めてあるが。(※中略)今わしが使っとる材料はアスナロ(アテ)言うて、能登で生産されとるがいちゃね。それが一番いいがいちゃ。青森に行ったら青森ヒバとかあって、アテとよく似てるがいけど柔らかくてあかんが。能登のアテは脂身がたくさんあって、水に入れても水吸わんし腐りにくいから水車の材料には良いがいちゃ。
後継者やね。それが一番。今度、部落にある水車、大きいやつ小さいやつも、それから各個人でも持っとるやつも全部集めて、理休体育館の横に並べたろうか思ている。今、全部で四十台ほど水車はあるが。作った水車も17〜8年たつからね。個人で持っとる人も年を取って修理して直す事も出来んし、一箇所にまとめれば、わしやったら、直せるしね。(※中略)あっちこっちで、水車を作りたい人には教えてあるがいけど、地元には水車作る人がおらんでやが。こないだ木材組合の人がおいでて、話ししとったら、そん中に一人大工さんがおって、家でやってみようか言うたから、「本あるさかい持っていかせっ」と言った。機械から全部揃えんなんから難しい。大工さんが一人おればできることながいけど。
若林英一 富山県南砺市79歳(取材当時) | |
石坂拓馬 富山県立有磯高等学校三年(取材当時) |